それが本当にベストな生き方なのか?を考える

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日本人って割と無理することがカッコいい!みたいな風潮ってありませんか?

海外の人って表現力の自由さとか、自分がやりたい事を実際に行動するアクティブさがあると思うんですけど日本人って結構型にはめたがったり、こうじゃなきゃ、あぁじゃなきゃみたいな固定概念が強いと思うんですよね。

そしてそれを周りにも当てはめたがる。

でも自分が美としているものや生き方が必ずしも他の人にとって美とは限らないし、その生き方も素敵ではない。って事はよくあると思うんです。

だから結局は自分がやりたいように動いて、自分が良いと思うものを信じて選ぶっていう生活スタイルが1番カッコ良くて生きている!って感じがするなぁって思うようになりました。

30歳は分岐点。

10代は大人になるための準備段階、20代からは自分が持つ力や知識を試す期間、30代からはその幅を広げたり自分の型を作る期間。

って感じかなって思います。

ただし型を作るのは自分流を作るだけであって、それを人に強制させたり当てはめて見たりするものでは無いです。

あくまでも自分流のスタイルを見つける。って言うことが大事かなって思います。

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昔の概念にとらわれていてはいけない

よく昔はこうだった…と言いますが、それは昔の話。

今は時代も変わり、色々な物が発展しているので今産まれた子供達はそれを当たり前に生活しています。

だから昔がどうであれ、今の子達には全く響かなくて当然なのです。

だからと言って昔がダメとか今が良いとかじゃなくて、それぞれの良さがあり、昔には昔にしかなかった空間や人の関わりもあった訳でそれも美しいと思います。

だからお互いを否定する訳でもなく「時代は動き、そして変わる」と言うのを前提に見て欲しいなって思います。

昔があっての今。なので何も昔にあったものを否定はしなくて良いですし、昔を生きた人の知恵も必要な機会が沢山あります。

それが逆に今の機械的な社会においては、スパイスのような存在にもなっていますしね。

でも悲しいかな…これをお互いに否定してしまう時があるのです。

昭和と平成でもだいぶ時代の違いはあります。

そこに産まれて生きた人からすれば自分の当たり前にあるものが「普通」ですが、それを知らない人からすれば「異質」なのです。

だからそこのズレをどうやって譲り合い取り込むのか。

でも時代は「進んでいる」ので、進んでいるものに自然と合わせていくのが本質なのでは無いかと思います。

人間は成長する生き物ですから、後退してはいけないのです。

時代に生きて時代に合った生き方に変えるとまた新しいものが見えてきて、楽しくなるんじゃ無いかって思います。

今にとらわれすぎるのも良くない

ただ現代は選択肢があまりにも多すぎて、自分でも自分がなんなのか。を見失いがちです。

何が好きで、何が必要で、何が嫌いなのか。

このあり余る情報社会の中で必要なのは「取捨選択」です。

自分で掴み、自分で捨てる。

簡単に手に入る時代だからこそ、自分でしっかりと自分に本当に必要なものは何か?を常に問いていないと見失って迷いそうになります。

好きなものや欲しいものに溺れて、正しい判断ができなくなります。

正しいも人によって違います。

だから自分で正しいと思うものを取捨選択する頭と感覚を身につけていかなければなりません。

今の子供達は沢山の物に囲まれて、楽な環境を与えられています。

そこまで人が関与しなくてもそれなりに生きていける。

でも大人になった時は楽なことばかりでは無いのです。

親もいつまでも元気でいて、見てあげられる訳でもありません。

そうなった時に地に足をつけて自分で進んでいける自分軸を身につけなければいけません。

その子の性格に合った、その子にしか出来ない何か、得意なこと、好きなこと…

沢山ある中から自分にとって「今必要なことはなんなのか」を常に正しい目で見れる心を身につけさせなければ、この忙しい情報社会において置いてけぼりをくらったり、もしくは溺れてしまったり自分を見失いがちになります。

昔よりも今の方が実は楽そうで、難しい時代に突入しているのでは無いでしょうか。

その人によってベストな生き方とは違うもの

さて、こうなってくると「正しいもの」「正しい生き方」って何なのか?が謎ですよね。

自分には悪に見えるものも、その人にとっての「正義」ではある訳で。

人間って言うのは自由だけれどその自由が故の色々な衝突や違いと言うのを常に目にし、葛藤しながら生きています。

では自分から悪に見えるものが本当に悪なのか?

でもその悪にも仲間がいて、同じ同志がいる訳で。

自分が思う正義や悪、正しいものや正しくないものと言う持論は必ずしも皆が同じでは無いのです。

だから生き方というのは自分自身で正しいと思える選択をし、それを信じて進む行動力が全てになってきます。

「型にはめる」と言うのは必ずしも良いことでは無いのです。

その人にとっての良い型は人にとっては不便かもしれません。

同じく良いと思える型かもしれません。

でもそれを選ぶのも「自分自身」。

強制させてやらせるものでも、無理強いさせるものでも無いのです。

意見として前に出すのはOK。

でもそれを否定された時には「あぁ、そうなのね。」と受け入れ、それを聞いてあなたがどう思いどこまでを受け入れ聞き流すのか。

まぁそんなこんなで人と言うのは自然と周りから学び色々な情報を得て、隣り合わせで感じ取りながら自分というものを作り上げているのです。

それを感じて、見て、聞いて自分がどう感じたかの集大成が今の自分なのです。

だから誰1人全く同じ人間って言うのはいないですよね。

人間は良くも悪くも自由だから、その自由の範囲内でどこまで自分らしく生きられるか。

でも自分らしくいすぎると批判され、嫌われ、うざがられる。

人格を否定されることもある。

生きるって本当に難しいことなのです。

でも本来人間と言うのはそうやって行動しながらこっちの方が良いんじゃないか?とやった結果が今の時代のようなテクノロジーだったり、物を作り出しているのです。

昔と全く同じなんて事は絶対に無いのです。

自分では変わっていないつもりでも、自然と変えていっているのです。環境に合わせた自分に。

だから結局最後は自分で良いと思えないと、それはストレスになる訳で、色々納得できない訳で、どこかでズレが出来てきます。

人生と言うのは人の正しいで生きるのではなく、自分で良いと思うものを常に問いながらそれに合った自分に変えていくことで結果満足できる人生になるのでは無いでしょうか。

まとめ

自分の当たり前を人に当てはめないで生きる。

周りの人も自分が正しいと思わず、人の生き方も受け入れて生きていくべき。

こっちが正しい、あっちが正しいって言うのはその人次第。

生きると言う事は自分の人生の答えを見つける旅だと言う事ですね。