優しいの疑問点

誰でも優しくされるのって嬉しいですよね?
でもそこで1度立ち止まって考えて欲しいのが本当に「優しい人」ってどういう人の事を言うのかな?と言う疑問です。
優しいって色々あると思いますが、
はき違えた優しさは
人をダメにしてしまうし、自分もダメになってしまうよ。
と言う事です。
優しい人って一見「良い人」なんだけど、それが本当にその人の為になっているのか?はたまた自分よがりな優しさになっていないか?
本当の優しさってなんなのか?を考えると色々見えてきました。
その優しさって責任がとれる優しさですか?

優しさに責任?何それ?と思った人もいると思います。
でも無責任な優しさってあるんです。
それは
相手の事を何も考えず、自分が良かれと思って後先を考えず助けてあげる事です。
優しさには色々あります。
可哀想な人、困っている人を見ると放っておけないから助けてあげる。
でもそれは本当にその人の為になっている優しさなのかを考えなければいけません。
中途半端な優しさは人を傷つける事もあります。
自分で解決しなければいけない事、自分で苦しんで学ばなければいけない事ってあるんです。
最初助けたは良いけど、結局途中で面倒になったり、自分のキャパオーバーで面倒を見切れない。と放りなげるような優しさはただの自分よがりな優しさだし、相手が成長する機会も奪ってしまう事になります。
それにただ優しいだけだと、相手はそれにつけ込んでどんどん甘えた人間になってしまったりします。
結果として、周りも自分も幸せにはならない人助けや優しさは、本当の優しさとは言えないと思っています。
本当の優しさは何か?

本当の優しさって
時には厳しく、時には優しく
ちゃんと相手の事を考えて導いてあげられる人の事
を優しい人だと私は思います。
ただやみくもに怒鳴り散らしたり、意味不明に怒ったりはただのストレス発散か、自分本位の怒りでしか無いのでそれは違います。
そうでは無くて、その人を思うからこそそれでは良くないかもしれないと時には突き放し自分で考え、自分で悩み、ある程度までは自分で解決できるように導いて見守ってあげられる人が真の優しい人かなと思います。
例えば子供も今は親がいて、守られていますよね?
でもいずれは自分の力で立って、自分で色々な事を解決していかないといけません。
だから親が可哀想だからと、すぐに手を差し伸べたり助けてあげたりしてはいけません。
その必死でもがいている今が、成長途中だからです。
でも本当に危ない時や、どうしようも無くなりそうで自分だけでは解決は難しそうだと判断した時は助言したり、行動したりして一緒に考え行動します。
そこの判断を安易にしてはいけないです。
ある程度は見守らなければいけないし、時間も必要になってきます。
そこを先急いで、助けてしまうと一時的には解決できたように感じても、また同じ壁にぶつかった時に、自分で立ち上がれる術を知らない人になってしまいます。
だから真の優しさは厳しさも持ち合わせていないといけません。
今助けてくれている周りの人がいつまでも助けてくれるとは限りません。
そうなった時に、
自分1人でもある程度生きて行けるように導いてあげる。
それが真の優しさだと思います。
ただやみくもに相手や周りの事を考えずに助けたり、やってあげるのは「甘え」です。
そういう甘えは、誰も結果幸せにならないと思います。
愛を持って厳しく、優しくどちらも出来る人はちゃんと分かります。
最初にも言いましたがただ怒鳴り散らしたり、厳しすぎるだけはそれは身勝手なので相手の為にはならないですが、もがいたり必死に頑張っている間もずっと見守り、時には助言したり安易には手を出さずちゃんとタイミングを見てそういう人は助けてくれます。
そしてそういう人には人も自然と集まります。
なんか分からないけど、この人が言うと説得力があるなぁとか、厳しい事も言うけどこの人が一緒にいてくれると安心するし、自分も成長できるな。と感じる人がいれば、それは行動がともなった、相手を考えた行動が普段から出来る人「真の優しさ」をもっている人の可能性が高いです。
そういう人から沢山吸収し学ぶと、自分も気づかない内に成長しているんです。
だからただ優しい人はただの「甘やかし」であり優しさではないと思っています。
まとめ
優しさには、「愛を持った厳しさが含まれている」と言う事を知る事が大事かなと思います。
その人の事を真剣に考えているからこそ、少し厳しくなったり突き放してしまう事もあるんです。
でもそれは今後、自分がある程度1人でも立てる力を身につける為に必要な事なんです。
だからやみくもに優しいだけなのはその時だけで、今後誰の為にもならないよ。と言うお話しでした。