よく「具体的な目標を持ちなさい」って言うけど、目標ばっかり持っててもなんの役にも立たないよ!って思います。
こうなれたら良いな〜とかこうしたいな〜は皆欲としてあっても、「具体的な目標」って疲れません?
〜をしなきゃいけないからやる。とか〜のために頑張る!とか良いように聞こえるけど、実際は凄く精神的に追い込まれるし諦めるのを早めてるだけな気がして。
そうじゃなくて「自分がしたいからそうしてる」と言える生活の方が自分に納得いきません?
それにそういう人の方がキラッキラしてて常に新しい事にアンテナを張ってて魅力的なんですよね。
今自分でこれをやりたい!とかこれなら好き!って胸張って言える事ありますか?
それをする為に毎日を夢中で生きていますか?
夢中にならなきゃ発見も何もない、ただの「業務」になってしまいます。
大体の人がそうでしょう?
なんとなく「お金のため」に働いて、なんとなく毎日を過ごしている。
それは凄く勿体ないんですよ。
同じ時間を与えられていても「夢中かどうか」が違うだけで全然見えてくるものが違うんです。
それを今日はお話していきたいと思います。
夢中になってこそ発見がある

別になんだって良いんです。
パソコンでも車でも釣りでもゲームでも歌でも、自分がこれめっちゃ好きなんだよね。って夢中になれるものがあるなら徹底的に好きになれば良いんじゃないか?って思います。
好きで夢中になるからこそ、やってる内に人が考えもしなかった発見が見つかったり自分だけのアイディアが浮かんだりしてそれが結果的に良い方向へ行くかもしれないしそうじゃないかもしれないし。
好きすぎて極めたらプロの域になるかもしれないし、何年か後に特集されるくらい有名になっているかもしれないし。
なんか無理してやりたい事とか目標を持つ人がいるけど、それって賢くない。
やりたい事の延長線上に目的があるなら良いけど、実際それっぽい行動を普段していないのに夢ばかり持っていてもそれは中途半端に終わりやすい。
なんとなく今あるものの代えを探していたり、今よりは良くなるんじゃないかってアバウトに思って特に行動せず頭だけグルグルしている状態。
本当に好きなことってもっと夢中になれるはずなんですよね。
夢中に色々やっていたら「あれしよう」とか「これしよう」とかやりたくなっちゃって、気付いたら出来てたみたいなそういう気持ちの方が実は大事なんです。
好きじゃないものって中途半端。
ある程度知っちゃったらもう良いかな〜って諦めちゃう人の方が多いでしょ。
もう無理かな〜って。
好きなことってそういうのがないはずなんですよ。
とことん好きだし、勝手にどんどん手をつけちゃうもの。
それが「夢中」ってこと。
それを繰り返していると勝手に発見したり、これ面白いかもって思えたり楽しいことがもっと増えてもっと好きになる。
欲は誰にでもあるけど、あんまり夢を語る人は好きじゃない。
で、それを叶えるために今何かしてるの?って聞くと「これから〜」とか「まぁボチボチ」っていう曖昧な感じで返ってくる。
それって本当にやりたいことなの?って。
やっぱり根本にそれに対する興味が物凄くあって、既に動いてるくらいじゃないと目的を持つ意味ってあまり無いんですよね。
大きな目標よりも自分がしたいことに夢中になって勝手にしなきゃいけない事を見つけた方が長続きしますし、もっとこうしてみようという案が湧いてきますよ。
目標を叶えるために無理してしまう

多少の頑張りは必要ですよ。
ただ「〜をしなければ」みたいなのが多い人ほど潰れやすいです。
それに飽きやすいし、すぐやりたい事がコロコロ変わる。
自分がしたいことの延長線上にそれらがあるなら単純に必要な事だしやっていると思うけど、あんまり「目標はー」とか掲げちゃうとそれを叶えるための無理した努力まで必要になってきます。
努力とかって正しい方向に向けられれば成果が出るけど、むやみやたらに努力してもただ量をこなしているだけで結果に結びつけにくくなります。
なんか頑張っている気になってちっとも進んでいないし、その内疲れて諦めちゃう方が多くなってきます。
だから目標ってあまり意気込んで持っちゃうと、自分にストレスを溜めてやることになるからかえって続かなくなるんです。
〜をしなきゃ!よりも「〜ってどうやるんだろう?」とか「こうしてみようかな」ってなんとなく考えたなりの行動を起こした方が先に進みやすいんですね。
それってもう行動に起こしている訳ですし、頭でっかちになってあれこれ考えて想像するより実際に行動しながら考えた方が現実的なものが見えやすくなります。
そういう人達って「無理してる」ってはあまり思ってないんですよね、意外にも。
必要だからやってるってだけで疲れはしても、無理してるというのは違うかな?が正直なところ。
目標って達成しないと意味ない!とか意味付けちゃう癖があるから、意味を持たせようと必死になりすぎちゃうんですよね。
5年後続いてますかね…?
今やってることが後に繋がるかなんて分かんないけど、とりあえず興味があるなら動いてみた方が良いんじゃないか?って思います。
考えるのはそれから。
あんまり目標とか持ちすぎないくらいがちょうど良い。
とりあえず自分が今できる範囲でできることからやってみれば自ずと必要な情報って出てくるんじゃないですかね?
それが分からないなら調べれば良いし、人に聞いてみれば良い。
自分で試してみても良いですし。
とにかく行動してみないとその先は誰にも分かりませんから、頭で夢とか持つよりできる範囲で行動しましょう。
やらなければじゃなくやりたいからで行動

誰しも子供の頃は常に興味がいっぱいあって、夢中になれる時間ってありましたよね。
決まって思い出すのは友達と馬鹿した事とか、あ〜昔のこういう時が楽しかったなぁって事。
それが大人になるにつれて「疲れた」ばかりがこぼれる。
20歳からはしんどいとか、仕事をしなければみたいな概念にとらわれてしまうけどお金を貰うための仕事って自分で選ぶことができます。
自分が好きな事、やりたい事を仕事に出来るから続けられる。
ちょっとしんど…って思っても勝手に心が動くもんなんです。
でも自分がやりたいと思うことのために少しでも行動してるか?って事を皆に聞いてみたい。
やりたい!と思うだけじゃ進みませんよ。
やりたい!と思って「じゃぁやってみよう!」って行動した所から一歩めなんです。
それが無ければ知識があっても活かせない。
大人になると「こうなったらどうしよう」とか色々逃げ道を考えるし、失敗が良くないって思うけど子供の時だってトライアンドエラーを繰り返しながら自分で良いと思うものをとってきたはずです。
それを大人になるにつれ忘れちゃう。
失敗が良くないもの、とか挑戦する事を馬鹿馬鹿しいって安定を望む人が多い事。
それじゃぁいつまで経っても何かに強制されて働かされる駒のようなものから抜け出せません。
自分がしたいから自分から発信する側になる。
人が見つけてこなかったようなジャンルを切り開く。
それは「やりたいと思うことの先」にあるんじゃないでしょうか。
まとめ
私は常に自分のやりたいことに一心不乱で夢中になっている人が好きです。
集まって人の悪口とか愚痴とかこぼしている人の元にキラキラ感って無いんですよね。
大人だって子供の時のように好きなことに夢中になったって良いんです。
自分の子供を見ているとダンスをしている時がめちゃくちゃ輝いていたり、友達と何も考えずに無我夢中で遊んでいる時が1番キラキラしています。
大人から見たらくだらないことも、子供達なりに色んな遊びを考えたり発見をしたりして面白いんですよ。
だから大人がハッとさせられる事がある。
無限の可能性を誰だって秘めているんです。
目標はこれでこれで…と語るよりも、まずは行動しましょ。
頭で思っているだけじゃ形にすることはできません。
行動あるのみ。
無我夢中で自分の毎日を生きていれば何かしら見つかるんじゃないですかね。
目標は目標に過ぎず、1で良いから何かやりましょ。
そうすれば自ずと見えてきますよ、やらなければいけない事が。