世の中には物が溢れかえっていて、今の子達はなんでもすぐ手に入ると思っている子が多いですよね。
でも子供自身が最初からそう思うわけもなく、考えの根本として家庭環境は大いに影響しています。
子供が欲しいものをすぐ買ってあげるとか、子供のためになんでもやってあげたい!とか親だから当然お金の許す限り色々買っちゃうし、やりたくなりますよね。
最初は沢山の物を持っている子に憧れがあり、そういう繋がりで遊び始めたりしますが、そういう子は物が無いと何もできない。と言うか、自分で何かを想像したり考えたりする力がつかなくなるので適度さが必要です。
今こそアナログな遊びも必要だと感じます。
実際にちょっと前に我が子が他の子が持っているものを持っていなかったから遊べない。と伝えた件について変化が見られたので書きたいと思います。
しばらくは家でゆっくりしていたうちの子

あの物の件があってから、子供は自分で断って遊びに行かないでいたんですよね。
勿論私がそれを伝えさせたと言うのもあります。
まだ子供ですからやっぱりそれは自分だけで解決は難しいと思ったので、親の思いも含めて子供自身から友達に言ってみてしばらく遊ばないでいました。
でも別に学校に行けばやっぱり仲良しだから、普通に休み時間大勢ではしゃいでいます。
これが高学年になれば話しは違ってくるかもしれませんが、私の子もそうだしお友達もそうだけど物だけに限らず人にはそれぞれ家庭の事情もあったり、用事があったり、ルールも違うからなんでも皆が一緒!とはならないということを誰かを通して知っていく勉強って小さい頃から必要だったりします。
そしてそういう現状に当たった時にどうやって上手く付き合って行くのか。が大事なんですね。
そんなこんなで我が子は進研ゼミをやったり溜まっていた好きなテレビ番組を見たり、親と家でゆっくりトランプなどをして遊んだりと家族間でのゆっくりした時間を過ごしていました。
そして最近友達側で変化があったのか色々変わり始めました。
それでもめげないで誘ってくれるお友達

うちの子が物の件でそれとなく伝えたところ友達達も納得して、しばらくはうちの子を誘わないでいたんですよね。別にだからと言って避けてるとかではなく、学校ではめっちゃ遊ぶし仲も良いけどキックスケーターの件でうちの子が断りを入れてからは相手も気を使って遊びには誘わないようにしていた感じです。
やっぱり現代の子って物が遊びの中心になっているから、それが無い子がいると一緒の遊びができない。とただそれだけの認識で、じゃあ他にこういう遊びをしよう!って考えれるような私たちの時代とは違う子が多いんです。
違う子と言えば良いのか時代が違うからなのか。
でも何故かお友達達はうちの子の事を凄く慕ってくれていて、しばらく時間が経ってからお友達の方で何か気持ち的に変化が起こったようです。
「やっぱり〇〇ちゃんがいないとつまんないし遊ぼうよー」と。
そして前皆が持ってきていたキックスケーターはいつの間にか禁止になり始めていたそうで…
(私は知りもしなかった…^^;)
やはり怪我をする子が続出して、あの狭いマンションの中庭で遊ぶものだから子供同士衝突したりとトラブルが絶えなかったそうで親側から「持って行くな!」と言われてしまったそうです。
となると物が無くなった子達は物が無いと何して遊べば良いのか分かりません。
これなんですよね、今の子達に足りないと感じるのは。
物がなくても1人1人に価値があり、一緒の遊びを共有するからより絆が深まったり一緒に何かをした。って言う経験がずっと記憶に残ったりするんです。
旦那を見てても思いますが「サッカー」を通して一緒に共有した友達とは今でも仲よかったり、社会人になっても「サッカー」を通して新たに仲良くなるメンバーもいたりと
同じ事をして楽しむ
と言う経験は絶対無駄にはなりません。
そしてそういう良いも悪いも共に分かち合った仲間とはずっと良いライバル・良き理解者としてお互いの支えになったりします。
たかだか遊び…と思うかもしれませんが遊びは自由だからこそルールを自分たちで作ったり、譲ったり自由の中から自分たちに合うやり方を考えなければいけません。
これが大事なんですね。
物があれば簡単にそれさえあれば遊べるし、繋がれますがそれが無くなった時に何も出来ない子になっちゃいます。
そこで初めて皆考えるんです。
これが今回のお友達達ですね。
「キックスケーターが禁止されたからどうする?」
「あれないとつまんないよね」
「………………」
そうすると人同士の遊びを何か考えないといけない状況に初めてなりますよね。
つい昨日なんだか家の前でごにょごにょ話し声がずっと聞こえる…と思ったら、うちの子と数人が会議をしていて(笑)
やっと家に入ってきたと思ったら「今日は遊びに行くの!」と張り切っていて、
「え、でもキックスケーターとかは無いから無理でしょ?」と言ったら
「キックなんちゃらは皆持ってこないよ!なんか禁止になったんだって。ママ達がダメって。怪我をしたりして危ないからもう持って行くなって言われたんだって。」と。
「じゃあ何して遊ぶの?」と聞いたら
「鬼ごっことか、進研ゼミのスタートナビとか隠れんぼとか!!」と言われて私は凄く嬉しい気持ちになりました。
あーやっと何かを自分たちで見つけて考えて、なんとかそれでも友達同士で遊ぶためにはどうしたら良いのかを決めたんだ…と。
勿論友達同士で遊んでいると時にはふてくされる子もいたり、相変わらず皆気分屋な感じですがそれでも楽しそうです!
しかも昨日は中庭に行ったら他のクラスの男の子もいたりして、登校班が一緒だったりなんだりとお兄ちゃんお姉ちゃん達まで一緒に加わり皆で遊んだそうです。
男女関係なくうちの子達は仲良くて、まるで前に書いたちびまる子ちゃんの世界のようで嬉しい限りです。
これが私が理想としていた遊びだと思った

やっぱり同じ事をして皆で走り回ったり汗をかくことって、一緒に何かをしている!!っていう体感もあるし、漠然と「楽しい!」って思うはずです。
帰ってきた我が子が汗だくで「今日ね鬼ごっこをしてね…あれでねこれでね…」と話している姿を見て嬉しくなりました。
私たちの時は鬼ごっことか当たり前だったけど、今の子達はそういう遊びを共有する経験が少ないから一緒に汗をかく感覚って分からない子が多いんです。
それを仲間でやるから面白いのに。
なんか全員が一皮剥けた感じがして、久しぶりにうちの子とオフに遊べて皆喜んでくれて私もとっても嬉しかったし、そういう風に色々考えてそれでもうちの子がいないとやっぱり嫌だ!と色んな子が言ってくれた事が嬉しかったです。
明日はお菓子を持ってね、あれでねこれでね…と話している姿がたくましかったです。
私たちも昔何十円のお菓子を持ち寄って、広場で寝っ転がったり鬼ごっこをしたり、夏にはプールに行ったり誰かの家に遊びに行ったりして遊んでたのでその楽しさはずっと記憶に残っています。
今は本当の楽しい遊び方を知らない子が増えたな。って感じます。
例えばトランプなんかも色んな遊び方があります。
今の子って大富豪を知らない子が多いですよね。
私らの時は修学旅行の移動中も全員でトランプをしたりしたんですけどね。UNOとか。
多分今の小学校低学年はトランプやUNOができない子多数です。
うちの子が幼稚園の時からストップやババ抜き・ジジ抜き、カルタなどが好きでやっていたのですが一度幼稚園でやろう!と皆に声をかけカルタをやり出したら、友達達の方がどハマりして毎日友達たちに付き合わされて飽きた…(^◇^;)と言っていた我が子に吹き出しました(笑)
小学校1年生には大富豪はまだ完全に出すタイミングなどを理解するのは難しいかもしれませんが、それでも普通に遊ぶ分には理解できています。
そこから出すタイミングとか人の手札の枚数を見て切り出すとか、色々な状況判断をして勝ちに行きます。
トランプ1つでもめちゃくちゃ頭を使うし、タイミングとか使い方を間違えると負けるしそういう勉強にもなっているんですよね。
鬼ごっこや隠れんぼでも結構頭を使ったり、体力を使います。
そして誰が鬼をやるかとか、あの人ばかり鬼になっているから次は私がやったげるわ!!と交代してあげるとかルールや人との付き合い方、こうされたら嬉しいとか嫌だ。色んなことを同じ遊びをする事で学べます。
それを大人数の中で経験した子は加減を覚えたり、自分たちで考えてより楽しいことをしようとしたり人間性を作る上で大切になってきます。
それはこれから先にも大きく関係してきます。
だから周りの友達達がそれに気付き、新しいことを始めようとした行動力と発想がすごいな。ってめちゃくちゃ感じました。
鬼ごっことか普通なんですけど、今時あんまり学年関係なく全員で鬼ごっことか同じ遊びを共有する機会って少ないから凄い大事だと思っています。
まとめ
我が子が物を持っていなくて参加するのを断念した前の状況から、新しい考えを見つけて切り換えてうちの子のこともこれで誘えるやん!!って思ってくれた友達達が凄くありがたいし、遊べてない期間を経てやっぱりあんたもいなきゃつまんないよ!とずっと思い続けてくれた周りの子にはめちゃくちゃ感謝しています。
そういうしがらみから抜けて、友達同士で考えなんとかして皆で集まろうと考えれるこの子達はきっと人としても成長できるんじゃないかな。って思います。
物がないからダメ。ではなくて、本来は人として必要とされていれば物がなくても誘われるし、無いなりに考える力がどの子にもあるんだ。と言う事です。
ただそれをこういう小さい時期から経験してぶち当たった子とそうじゃ無い子とでは、経験値の差から年齢が上がるに連れて変わってきます。
仲間と共有して遊べるのかそうじゃないのかはとっても大事な人生経験の1つだと改めて思いました。