どうしても人はカッコつけたがります。
それは皆そう。
やっぱり弱みを握られると攻撃されやすくなるし、男の人ならそういうのは「カッコ悪い」とか「プライドが…」ってなりますよね。
女性だって同じ。
自分の苦手な事や本当は違う自分の姿を見せるのが恥ずかしいって思うし、優位に立ちたいって思う傾向が強いから自分では無い自分を作ってしまいがちです。
でもずっとその状態を続けるのは苦しい。
かつての自分もそうでした。
1度作り上げたイメージやキャラと言うのは後から壊すのは難しいのです。
だから今からでも遅くない!

「もっと自分に素直になってさらけ出す勇気を持とう」
そんな事を書いていきたいと思います。
自分をさらけ出すのは怖い

人間って誰しも臆病なんです。
たった1人で生きていくことは出来ないし、何かで守られていないと自分を保てないもの。
その鎧が「もう1人の自分」だったりします。
本当の自分は違う考えであったり姿を持っていても、一歩外の世界へ出たら違う自分を演じている人は結構多いのでは?
かく言う私だって何でもかんでも外でさらけ出している訳ではありません。
一応自分の中でこれ以上は踏み込まれたくないとか、ここは自分が発言すべきじゃないとか自分なりに使い分けていますからね。
ただ「嫌だ」と思う事や、「これは私は無理だ」と思うことって割と伝えなきゃいけないんですよ。

え…でもそれを言ったら嫌われてしまう…
その通り!
私の人間関係を見れば分かりますが、凄くシンプルで付き合える幅が狭いと思います。
「自分はこういうことが嫌で、こういうことが好き」って伝えたら離れていく人もいますから。
だから「信頼できる」とか「長い付き合いになりそう」って思える人はごくわずかです。
交友関係の広い人とか、常に色々な人に好かれる人は元々持っている愛されキャラの素質がある人か付き合い方が賢い人ですかね。
本当なら付き合い方が賢い人になれれば良いんですけど、それって凄く難しい。
容姿とかそれに伴うキャラ作りとかポジションとかを上手く使い分けられる人じゃないと上手に付き合うのは難しいからです。
万人に好かれると言うことですからね。
でも私はそういう賢さは残念ながら持ち合わせていないし、昔から先輩とかに目をつけられやすいタイプであったのでやっぱり滲み出る何かがあるんでしょうね。
頑張ってかしこまったり自分なりの良い人とか後輩感を演じても、やっぱり最初は嫌われることが多くて。
あぁきっと人相とか性格とか何かが目をつけられやすいタイプなのかも、って諦めるようになりました。
ただ最初マイナスイメージから入る人ってただでさえ評価が悪いから、それ以上下に下がることは無いんです。
ずっと嫌われ続けるか、逆に爆上がりするか。
逆はどうでしょう?
イメージの良い人はちょっとしたことがマイナスになりやすいし、本人的にもそれを崩せないからかなり無理しちゃう事ありますよね。
私のようにお気楽にいられれば良いけど、1度ついた良いイメージと言うのは誰しも崩したくないし嫌われるのが怖いから本音を言わないようにするもの。
ただこういう人ほど人間関係に疲れやすいのは事実です。
1度好かれたキャラと言うのはずっとそうし続けないと、今ある人間関係の輪が壊れてしまう…と言うのがあるので、ちょっと無理して一緒にいたり断りたいけど断れないとかもしなきゃいけなくなるからです。
ただそれをずっとキープするのって難しくないですか?
自分が苦しいし、ある意味自分に嘘をついて人と関わり合わなきゃいけなくて思っている人間関係とは違うものが出来上がる事もあります。
本当は1人が好きだし、実はこんな趣味があったり、こういう腹黒さもある。
外でそんなのを出したら「嫌われる」。
「傷つく怖さ」があります。
誰だって嫌われていいや!って最初は思えないし、あわよくば万人に好かれたいとか「〇〇って良い人よね」って言われたいって皆思っているのではないでしょうか。
でもね、「嫌われる勇気を持つ」のは必要な事なんですよ。
なぜ嫌われる勇気を持った方が良いのか?

嫌われる勇気を持つと言うことは、初めて自分を受け入れて愛することができるという事だからです。
嫌うか嫌わないかは相手が決めること。
自分がどうやっても嫌う人は嫌うし、好いてくれる人はずっと好いてくれる。
好き・嫌いというのは相手が判断を下す事なので、他者に委ねなければならない事なんです。
私自身も自分なりの良い人を演じたことがあるけど、やっぱり賢くないから「ただの都合の良い人」になってしまって良いように使われてしまうという経験があったから無駄だって思ったんです。
結局自分には損しかない。
それに比べ割と性格悪くて毒ついてるような人の方がみんな怖いのか従ったり、へこへこして持ち上げたりして交友関係が広そうで好かれてそうに見えます。
世の中って不公平だよね、って単純に思いましたその時。
頑張って作っている人より、言いたいことを言ってさらけ出してる人の方が楽そうで。
でもそういう中心にいる人は敵も沢山いたんですよ。
かなり影では悪く言われていたし、皆やっぱりそう思ってたんだね…って納得しましたもん。
とりあえず荒立てると面倒だから媚売って好かれとけば平和に過ごせるって感じですね。
私もその1人でしたし。
ただ結局その時期の思い出は良いものが何もなくて、今思い出しても辛かったなぁ…としか思わないです。
やっぱり後から人間関係を見直した時、もっと自分らしくいられれば付き合う人も変わったのかも…って思いました。
ただ当時は嫌われたりはぶかれたりするのがめっちゃ怖かったんですよね。
やっぱり本当の1人ぼっちが好きな人っていないから、誰かしらは側にいて鎧となって欲しいものです。
でもね、それをやっているとやっぱり自分じゃない自分を作らなきゃいけなくて疲れるんです。
自分の理想とは違う人が寄ってきたり、輪が出来たりして想像より遥かに向こう側へ行ってしまうんです。
そうすると引き戻すのが難しい。
好かれようと思えば思うほど自分とは程遠い人になってしまう。
他者にね、依存するのはやめましょう。
好かれたいって思うのは自由だけど、その為に色々なことを我慢しちゃうと結局自分を蔑ろにしているって事じゃないですか。
自分を大事にしていない。
他者ありきの自分を作ろうとしているから。
でも人と言うのは生まれながらに持っている個性があるから、人それぞれの出し方があって良いんです。
変わり者だって良いじゃないですか。
「あの人変わってるね」もその人にとっては「自分とは違うから変わってるね」なだけで、人が違えば「あの人面白いよね」だし角度が違えば見方も変わるのです。
そんなのをいちいち気にしていたら心がね…もたない!
私は昔から「AB型っぽーい」とか「変わってる、変人気質」って言われてきましたよ。
でもそんな自分が嫌いじゃない。
変な自信だけはあったんです。
それが「え、あの人変わってる‥」って思う人もいれば、「あの子ね、ちゃんと付き合うとめっちゃ面白いし結構仲間思いで1度心を許した相手のことはすっげー大事にするよ」って肯定して良いように広めてくれる友人もいました。
今でもきっとそう。
人の本質って長く深く付き合ってみないと見えてこないんです。
でもそれまでに嫌われる嫌われる…。
多分最後まで残ってくれるのって本当にごくわずかですよ。
ただしそんなすったもんだを乗り越えても尚付き合い続けてくれる人と言うのはいるもので、未だにポッと連絡くれたりママさんの中でも数人定期的に連絡をくれる人がいます。
私は自分で残った人達には言ってますもんね。
「多分私は敵を作りやすいし、嫌われやすいと思う」って。
「何かと目をつけられやすいし…」って。
「うん、知ってる。そんな感じするもん」って残った人たちは皆口を揃えて言いますよ。
「〇〇はなんか目立つしね。別に目立とうとしてなくても目立つ。どこにいるか分かっちゃう。嫌でも目立つ運命なんだと思う」って。
別に奇声を発したり大声で喋ってる訳ではないのに、絶対皆知っている。
自分で分かります。
独特な世界観が昔からある人間だから、人から良くも悪くも気にかけられる人だと言うのは。
最初は皆興味を持って話しかけてくれるけど、「え、案外つまんないのね」とか「付き合いづら…」って離れてく人の方が沢山ですよもう。
でも嫌われるのとか離れてくのを気にしていたら、無個性になる。
人生って人の理想のために生きるのではなくて自分の個性を持ちながら人とは違った輝きを持って生きて行くから楽しいんだ。って思います。
そのために嫌われるのを恐れていたら、やっぱり万人ウケする自分を演じないと無理じゃないですか。
世に浸透している「好かれる人の定義」を片っ端から勉強しなくちゃ。
ただそれもその人が持つ顔立ちとかスタイルとか性格全てが合わさって初めて「この人ってなんか良い」だと思うんですよね。
自分を知らないと活かし方も分からない。
結局は「自分と向き合って自分だけの個性を磨いた方が良い」と言うことです。
ただし「個性」と言うのは万人ウケするものでもなくて、やっぱりそれを支持してくれる人とそうでない人がいて。
その個性が強ければ強いほど好き・嫌いの出方も強くなります。
ただやっぱり自分の人生ですから、他人に好かれることだけが生きるための仕事ではないはずなんです。
時には自分を貫き通さなきゃいけないこともあるし、それが人とは違うステージであればあるほどそうなる。
嫌われるのを恐れていたら無意識に自分じゃない自分を演じなきゃいけなくなる。
物凄く心が苦しい。
あーやってらんねぇ、って投げやりになった途端皆離れていく。
人の繋がりってそんなもん。
嫌われる勇気を持てないことには、嫌われないような発言とか態度にする必要があるし、凄く空気をよんだり自分を押し殺さなければならない時も出てくる。
本当は違うんだけど…って思いながらも合わせなきゃいけない時も多くなる。
それだと自分が潰れませんか?
よっぽど世渡り上手な賢さを持った人じゃないと心とのバランスを取るのが難しいです。
人生は人の為に生きるのではなく、自分の為に生きてあげないと損です。
自分らしく生きる為には嫌われるってことを恐れて人と接していては、自分の理想に近い関係性は築けません。
嫌われる勇気を持つことで、自分を素直に出せるようになり活かせるようになります。
そうすると快適。
自分の理想形に近い形で人間関係も繋がっていきますよ。
まとめ
私の周りには物言いがストレートな人が多くて、そういう人との方が一緒にいる意味を感じられます。
決してYESマンなのではなくちゃんと自分としての考えは言いますし、それを言った上で人の意見も聞いてくれる。
私に対しても「うん、知ってる」とか「あーそうだね」って言ってくれます。
「え、そんな事ないよ〜」とか無難な回答をしてこないです。
それは私のそういう個性的な部分とか考えを知ってるから、別に肯定も否定もせず「そうだね」って受け入れてるって事です。
その代わり私は好きなことをめっちゃ好き!!って素直に言うし、知らなかったら知らなかった!!って言うし感情に正直だし私はそっちの方が気分が良いです。
今人と関わりたくないって思えばシャットダウンするし、私のことを良く知っている人は「あ、今あんまり連絡とかしたくないし人と関わりたくない時期なのかな?」ってそっとしといてくれます。
それって相手を振り回してない!?って思うじゃないですか、自己中とか。
いや、それはお互い様。
相手にだって相手の都合があるし別にそれを強制させてまで付き合わせようとはしない。
無理しない付き合いだから緩く長く続くのです。
人は皆自己中。
自分が良いと思えば良いし、嫌だと思えば嫌なのです。
だから合う・合わないがある。
選択権を与えるのは自分だけど決めるのは相手だったり。
人間関係って複雑なものだから結局自分に素直になった方が我慢の上で成り立った上っ面の関係性じゃなくてより深く意味のある関係性になれるのです。
ただしこれらは無理して作り上げるものでもなく、自分がしたいようにしていたら勝手に作られていたものという認識の方が正しいです。
相手ありきですから対相手がいないと関係と言うのは成り立ちません。
どちらにも「関わっていたい」と思う気持ちがないと、続かないのです。
人間関係を作ろう!じゃなくて、自分に素直になってさらけ出すことでそれに見合った人たちが来るようになるだけ。
ただそれだけです。
そこから勝手に作り上げられるもの。
接する機会が多くなれば相手を知る機会も増えて結果的に深い付き合いになっているだけ。
その間に相手の言動を見聞きして信用できるかどうかを見極めているのです、無意識に。
人間関係を楽にする方法って自分に素直になること。
そうするとそれに見合った人が寄ってきますから。
無理してるなぁって感じるのなら、それは自分の理想とは程遠い自分の姿があるから。
まずは自分自身で自分というものを受け入れて、それをさらけ出し嫌われる勇気を持って、えーい!!って出してみること。
それが自分なりに良いと思える人間関係になる近道ですよ。